南蛮貿易にともなってやってきた「梅毒」。その時代と医療事情
黒田官兵衛、加藤清正らの武将も感染【和食の科学史⑦】
■南蛮から梅毒もやってきた
弥生時代の稲作伝来と前後して、結核をはじめとする病気が大陸から入ってきたのをおぼえていますか? 島国日本には、その後も、ときにひそかに、ときに目に見える形で海外の病気が侵入しました。南蛮貿易にともなってやってきたのが梅毒です。
ほとんどが性行為による感染で、体のあちこちにしこりができます。脊髄に激しい痛みが起きることもあり、治療しなければ太い血管の破裂や、認知症などを伴う全身麻痺によって死亡します。第二次世界大戦後に抗生物質ペニシリンの大量生産が始まったことで、ようやく大勢の人を救えるようになりました。しかし世界保健機関(WHO)の推計によると、こんにちでも世界で毎年1000万人以上があらたに梅毒に感染しています。
もとはアメリカ大陸の病気で、コロンブスが新大陸を発見した際に病原菌をヨーロッパに持ち帰ったという説があります。日本に梅毒が侵入したきっかけは、バスコ・ダ・ガマが1497年に行った新航路を探すための大航海でした。すでにヨーロッパ全土に広がっていた梅毒が、このときインドに伝わり、中国大陸、琉球をへて日本本土に入ってきたようです。黒田官兵衛、加藤清正らの武将も梅毒に感染したと伝えられていますが、戦国武将の健康と食生活については、このあと見ていきましょう。
江戸時代になると患者はさらに増え、医師が診察する患者1000人のうち、梅毒患者が700人以上にのぼったという記録があります。とんでもないですね。実際に、江戸時代の人の骨を調べたところ、半数以上から梅毒にかかったあとが見つかったそうです。
困ったことに、日本で近年、梅毒の発生数が増えています。治る病気になったとはいえ、早期発見、早期治療が大切なのは変わりません。心当たりがあれば、だらだら様子を見ることなく、ただちに検査を受けてください。